| ほとんどの人がアラビア語(モロッコ方言)を使い、ベルベル語を使う人(ベルベル人)もいる。彼らの中にはアラビア語を話す人もいるがベルベル語しか話せない人も多い。フランス語教育の発達で都市部の人や若者の多くはフランス語を話す。 |
| ベルベル人が話すベルベル語は、地方ごとの方言があるためすべての人に理解されるのではないのに対して、日常的に使われるモロッコなまりのアラビア語は、地方ごとにアクセント等の違いは多少あるもののあらゆるモロッコ人に理解される唯一の言語なのである。 |
| これは古典アラビア語が現地語に同化した方言で、教育によるものでも、書き伝えられたものでもないが、アラビア文字で書き写された豊かで深みのある口承文芸を伝えている。 |
| 文語(教育、報道、文学・・)では一貫して古い文化から受け継がれた正則アラビア語(標準アラビア語)を使うが、日常のコミュニケーションはモロッコ方言のアラビア語か、より庶民的なレベルではベルベル語となる。 |
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| ベルベル後からアラビア語へ |
| ▼ベルベル語とアラビア語 |
| モロッコはイスラーム化される(7世紀末から8世紀初め)以前から民族語であるベルベル語を持っていた。ベルベル語はアラビア語と同じくハム・セム語族に属するが、文字がないのでその歴史を復元することはきわめて難しく、どんな書き物にも残っていない。 |
| 国がイスラーム化される直前にも住民の大多数がまだベルベル語を使っていたと思われる。しかし、モロッコのイスラーム化(※)はベルベル語が書き言葉に変わるという発展を妨げた。その代わりアラビア語がその役割を果たした。 |
| ※チュニジア最初のイスラーム都市カイルワーンを建設したアラブの首長オクバ・ベン・ナーフィは682年以来、大西洋沿岸まで攻撃した。ベルベル人とビザンティン人は侵略者に対して攻撃を試みたが、ムスリムのアラブ人達は次々とイスラーム化を推進しながらその勢力を拡大していった。 |
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| イスラーム化とアラブ化の運動は一体となり、アラビアからやってきた征服者によってではなく、最終的にはベルベル人の王朝(ムラービト・ムワッヒド)によってなされたのである(※1)。ベルベルの王朝はアラブ人から伝えられた正統派イスラームの刻印をモロッコとイベリア半島に残した(※2)。 |
※1預言者ムハンマドの娘婿アリーの子孫であるイドリース1世は、786年バグダードのカリフの命による一族の虐殺から逃れるためアラビアを去りモロッコに避難した。788年彼はモロッコ中央部のベルベル人の部族から’イマーム’(ムスリムの集団の指導者)として認められ、イスラームの足場を固め789年には最初の都をフェズに建設した。
その遊牧民のベルベル戦士の集団ムラービト朝はイスラームを浄化することに努めた。 |
| ※2ムワッヒド朝によるイベリア半島の占領がモロッコのアラブ化を促進した。そしてこのことがアラビア語以外のすべての言葉を方言のレベルに追いやったのである。アラビア語は新しく征服したすべてのイスラームの国に伝わる知識を書き表す唯一のコミュニケーションの手段となった。 |
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| アラブ化はベルベル後を跡形も無く消し去ったわけではなく、その領域を大幅に減らしたのである。ベルベル語だけを話す住民は今も山間部や辺境に残っている。 |
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| 地方語ごとのベルベル語 |
| ▼ベルベル語の分布 |
ベルベル語は様々な方言がモロッコ各地で使われている。
■リーフ山地 ■オート・アトラス ■モワイヤン・アトラス ■アンチ・アトラスの山岳地帯にとりわけ多い。 これらの方言はズナートとべラベル・シュルーフの2つのグループに大別される。 |
| ズナート語には、モロッコの地中海側で話されているリーフ地方の言葉がある。その他西モロッコの小部族の言葉、それからもっと南のアイト・セッグローシェン族とフィギーグ族の言葉もこのグループに属する。 |
べラベル・シュルーフ語は2つのグループに分かれる。
ひとつは中部モロッコとプレサハラ地方で使われるタマジット、ふたつ目はシュルーフを再編したタシュリットでアトラス、アンチアトラスやアガディール、タルーダント地方で話される。 |